石田 耕市のストーリー

 石田です。こんにちは!青森県青森市生まれ。めぐみ幼稚園、浦町小学校、浦町中学校、青森高等学校を卒業し、東京東日本橋の繊維問屋へ入社しました。入社してすぐにバブル景気(1986-1991)が始まりました。バブルが何かを実感できませんでしたが、給料、ボーナスは当時の会社創業以来良かったようです。会社は次第に学生服の卸が主体になり、石田も23歳ころ外回りを少々かじりました。制服ブームが到来し私学を中心に可愛い制服を取り扱うようになりました。この頃の会社での業務は、オフコンのシステム担当者で、一からコボルを勉強しました。パソコンが入り込むようになり、Windows1.0などいじる傍らLAN構想の話が始められ、Bluetoothなど当時意味のわからない機能が少しずつ拡散しました。当時景気がよかった世間は問屋不要論が言われ、とても記憶にあります。このころを境に現在まで多くの問屋、小売店が無くなりました。理由は後継者問題や廃業。しかし大手が急成長し、多くを飲み込んでいったような気がします。自営業からサラリーマンの時代へ変遷し、会社が成長することは自分も大きくなれるような気がしていました。

 

 30歳頃、青森へ帰郷し転職して釣具卸小売店へ入社しました。すぐに150坪の小売店の店長へ出世!釣りブームが到来し会社の売上が倍増したころでした。ものすごい実戦経験の猛者ばかりのお客様を相手に”釣り”で負けるので、釣り専用衣料品などで勝負したり、釣り=アウトドアの線で販売してみたり、いろいろアイデアがないとブームとはいえお客様に支持されませんでした。会社としては取引先が増えましたが、ここでも小さな古い小売店は淘汰されていき、ブームが下火になり、その後会社は事実上倒産しました。
 40歳頃、地元老舗の百貨店へ入社。営業企画へ入ります。物産展ブームでほどなく物産催事を担います。毎年京都展や神戸展などを手がけます。そのほか社内でのミニ催事やイベントを手掛けました。このときも物産展のみならず、いろいろアイデアがないとお客様に支持していただけないことに気づきました。
 
 このような人生を送って今考えること。販売の人生でした。そして販売=売上=お客様です。お客様に支持されるのに必要なのはアイデア、人、そしてふくらませること、最後に理解者です。アイデアが面白いと人がついてきます。人が集まるとふくらませることができます。その膨張を理解する人=お客様が支持してくれるのです。
 

 石田は、このアイデアを出すことをデザイン設計として「セッケイスト」、人がついてくることを「ツナギスト」、ふくらませることを「ザ・アレンジャー」と名付けました。
 この三つは特技としてミックスしながら未来にステップしたいと考えております。

 

 

現在と未来

インターネットの普及、携帯電話の一般化、パソコンの進歩、オンラインとはいえ要は無線の時代です。情報が無料の現在、お客様は商品の無限選択が可能になりました。膨大な知識を持つお客様ですが、所詮デジタル画像です。手に取り触れてみないと買えません。そこで店で買うのか、通販なのか選択します。
SNSの普及により個人から個人へのコミュニティが確立すると作り手は狭いコミュニケーションで商品を紹介するようになり、これが自分オンリーの喜びを与えてくれるようになります。
つまり作り手と買い手が密になってきているのです。買い手の好みは熟知していますのでカスタム可能です。ますます自分オンリーになります。
これは地元の商店街で買い物する感覚です。自分好みの野菜を仕入れてくれる八百屋、料理方法を教えてくれる肉屋、さばき方を教える魚やです。
いまこそ作り手は自分のファンを作るチャンスです。
弊社はそのチャンスの場やタイミングの提供を考えていきます。